ベトナムで明日から旅行に行くがお前も来るか?と急に誘われ、場所もわからず付いていくことにした。車で行くということなのでそれほど遠いとも思わなかったのだが、びっくり10時間もかかるではないか。第2次大戦あとに”ずーずーしくも”ここは俺の統治地だとばかりに戻ってきたフランスを追い出した場所だそうだ。 |
急な誘いに乗った旅行、どうなるのかと思ったら途中のMaiChauというところに泊まるらしい。行程を聞いてない、いや聞いても理解できんので仕方がないか。先ほど車の中で食べたゴカイのハンバーグ、??コブミカンの葉が入っていて香が良いしおいしい。(ゴカイだよ)。夕食に来た食堂で親切にもゆで卵を割ってくれたと思ったらホビロン。おお〜!!僕には強烈だが彼らにはふつう。3家族の旅行に参加してます。 |
エコロッジという民泊みたいなのが満室だったので近くのホテルに泊まって、朝はエコロッジで食事をし観光。 |
ここは、少数民族の村で田舎の景色が良いです。 |
家屋は高床。下でテレビを見ていたり・・・一応外部ですね。ナマズを笹で包んで炭火で蒸し焼きに、これがうまいよ。 |
村挙げての観光地でもあり外国人も結構来ていたし、学生の団体旅行も来ていた。 |
こっちは早く行こうよと思うのだが、旅行のスタイルが違うのか結構のんびりしていた。地方の道もしっかり舗装されていてよいと思うのだが、事前の予告なしに工事をしてたり、大幅に車線をはみ出す荷物を載せた車がいたり、過積載もお構いなしのトラックとそれを追い越すトラックがいたりしてカルチャーショックを受けること間違いなし。 |
maichauで買ってきたナマズの蒸し焼き、ウナギの白焼きみたいでうまい。 |
峠の店を手伝っていた女の子 |
ゆっくり休憩して再スタート、今日中に着くのか?道路はよくできているが日本との圧倒的な違いは、トンネルがない。やはりトンネルを掘るには費用が掛かりすぎるのだろう。 |
おいおい、途中のPha Din峠で夕方になってきたぞ。暗くなるまでにつくのか? |
全く無名だがこんな景色があちらこちらに。 |
公安の刑事というこの人にえらい気に入られて離してくれない。 |
日本人独りぼっちだが、友達の奥さんが日本語をしゃべれるので何とかやってます。 |
朝は市場に見学、友達は買い出し。この橋は古すぎるが大丈夫なのか?揺れるトラス橋。 |
強烈だった。どじょう・タニシ・蛙(たらいから逃げないのか?)・水牛の足?・鯉・ 豚の顔・山羊の顔・豚のしっぽ・蛹と幼虫・そしてMEO(このあたりでは食べるらしい)。びっくりするのはバイクに乗ったまま買い物するのよね。 |
インドシナ戦争で熾烈を極めたというA1の丘、フランス軍の基地の下まで塹壕を掘り、爆薬を仕掛けて基地を破壊したとか。 |
なんと昼もここで食べるのか?帰り着くのは何時になるのだろう。自家製の焼酎をもらっていたがそのような積み方ではだめではないのか?結局二三回積みなおして出発。 |
前にトラックが使えるとガンガン追い越して走る。 |
パンクらしい、すると人がいっぱい集まってきた。修理しても又パンク???4か所も、ということはいたずらされたか。 |
水牛が横切るのどかな道 |
生きた豚をそのままバイクに。 |
中国のパンフレットにあるような景色だが、あちらこちらにこのような景色が見れる。 |
水牛の群れが道を横切る。こんなのにぶつかったらひとたまりもないだろう。 |
ハノイに戻ってきてフォーを食べたのはすでに10時半。 |
それからビールを飲みに。 |
外国人にとってDien Bien Phuは、あまりなじみのない場所だが、ヴェトナム人にとってはフランスを追い出した非常に重要な歴史の町だ。のちに良くよく調べると、2次大戦後ベトナムに残ってベトナム解放群となった日本兵が相当いたらしい、彼らは兵学校でベトナム兵を教育しここでも戦ったらしい。大東亜戦争の日本の理屈、アジアを西洋の植民地から解放するを実践していたようだ。 フランスがなぜ負けたのか?ここでのベトナム人の戦いぶりを研究しておれば、その後の戦いでアメリカが敗退することはなかったのだろう。西洋人はあまりにも自分たちの常識を信じすぎたのが敗戦の原因ではないだろうか? ベトナムは海岸線の観光地が良くアピールされているが、山間部も面白いのではないかと気づいた旅行だった。 |
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