グラナダ
11世紀に後ウマイヤ朝が滅びると、イベリア半島における最後のイスラーム王朝は ナスル朝で、首都の名をとって グラナダ王国とも呼ばれる。小王国ではあったが、巧みな外交手腕によって キリスト教諸国と渉りあって独立を保ち、学芸を保護したので、ヨーロッパにおける最後の華麗なイスラーム文化を花開かせた。
 






最初の入り口を通り10分程度、城塞を歩いて予約時間が決まっている王宮に向かう。



カルロス5世宮殿:  イサベル女王夫妻の孫(1527年)カール5世が新婚旅行でアルハンブラ宮殿に泊まり、建設を命じたって?建物で、アルハンブラ宮殿を壊して建てたらしい。
 







予約無しでは入れない王宮の前で時間待ち。中に入ってすぐに出迎えるのはモザイク模様のタイルだ。





外から見たのとは大違い豪華絢爛 石の文化と思いきや漆喰のようなもので作ってあるようだが、近づくとすさまじい迫力。
   

天人花の中庭 外から見た質素な世界と違い中庭の美しさはすばらしいものだ。





天人花の中庭は、ここは王が公的謁見のために使用したエリア。





インドのタージマハルの煌びやかさとは違った装飾だがこの装飾も本当にすばらしい。





イスラム文化独特のヨーロッパにはない建築物


獅子の中庭 私的な部分だったようだ。ドームの部分はふと見るとこうもりの巣のようで気持ち悪いが、鍾乳洞をイメージしているとかよく見るとここもすごい装飾だ。

真下から見るとまたとんでもない。青い色が残っていたらもっと美しかったのでしょう。
   





獅子の中庭の周りは家族が住むところだったのでしょうか。ところどころから外が見えるようになったいた。
 





   


こんな感じで暮らしていたのかも?








アルハンブラに移る前に王宮があったアルバイシン あそこからの眺めも良いそうなので行ってみることにする。





カテドラル と現在の市街
 





夏の宮殿 噴水がある中庭を通って宮殿へ、すぐ横に夏の宮殿が必要だったわけは?
 





高いところから曳いた水道の水圧で噴水を作っているので無動力

夏の宮殿だけありアルハンブラより風通しがよさそうなのは見ての通り、涼しげです。







アルバイシンに向かって丘から降ります。






おなかが減ったので坂を下ったカレーラ・デル・ダロのレストランで昼飯
   

カレーラ・デル・ダロ通り

路地を上がる



地図にない道を登る


サン・ニコルスにでました。シエラネバダを背景にアルハンブラ宮殿。
 





イスラム時代の町並みが残るアルバイシンの細い路地を通って街ちに向かう。殆んどあてずっぽうで歩く。


色の規定はないのでしょうが、白い壁に緑の窓枠とか偶然でしょうがタオルの色が良かったり外国って感じです。




細い路地もなんだか絵になったり、ワインの空き瓶が壁の隙間に突っ込まれていたり急にカフェに出くわしたり。
 





古い町は扉の一枚も興味深い





出てきたのはアラブ人街 歩きつかれたのでバルに入ると洞窟のような地下に案内され、そこで水タバコなど注文したなら余計にあやしい雰囲気となってしまった。
 




グラナダのモスクの跡に立てられたカテドラル 外部の大きささがそのままドームの高さとなっているので内部から見るとが馬鹿げた大きさに見える。教会内部には、歴史を感じさせるものも多く博物館のようにもみえたりする。





中世の教会の建物を見ると歴史を変えてきたほどの力があることがよくわかる。
 








年越しのイルミネーションはどこの国でも一緒。 グラナダではBARのタパス(突き出)が無料、一杯呑んでは次のBARに行くとか、そこで2件目は定評のLos Diamantes 2に、凄い混み様で驚いた。
グラナダには古代イベリア人が居住していたがローマの支配下に入ったり西ゴート王国(ゲルマン系)の支配下に入ったりして、その後イスラム系のウマイヤ朝時代を経てナスル朝時代に都となりアルハンブラ宮殿が建立される。しかしその後アラゴン連合王国に占領されレコンキスタが加速してイスラム教は追放された。
このような歴史からか、イスラム様式の建築物によるものなのかヨーロッパと言うよりどこかの中東か中近東に居るような錯覚を覚えた。その上期待していなかったアルハンブラ宮殿があまりにもすばらしいので、イスラムの歴史を感じたためかもしれない。
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